先輩看護師

「余計なことしなくていいから手順だけ教えて」の言葉を受けて、おれは嫌な気持ちになった。それはどこかでおれのやっていることは余計なことであると言われた気がしたからだ。さらにおれ自身も余計なことかもしれないと思っているからだ。

おれへの信用のなさ、そしてそんなおれに指導される後輩への配慮のなさ、人がいなかったとはいえ自分でおれを任命しておいて信用していないなんて。

彼女の技術とスキルは一流であるはずだか、看護を教えてもらったことはないと断言していた。

 

今夜、お看取り方針の若い男性の担当になった。リーダーは彼女だった。彼女はブランケットを導入して体温を下げ、血圧を下げ、患者は楽そうな様子になり、家族も喜んだ。

それはおれ一人では思いつきもできないもので、彼女の知識と機転から患者の安楽を導き出した結果であった。

おれが見逃していた観察をひっそり続けて、どうしたらいいか考え行動していた。

おれは目に見える優しさに囚われている。みんなで協力することで、一人では及ばない方法が生まれる。先輩たちの介入によってたくさんよいことが起こる。

おれ一人では叶わない。

おれは自分ならできると思っている。

優しい人間だからいい看護ができると。

バイタルサインの変動から判断し、よりよい方法を見つけ出し、効果を出す。

これこそが知識と技術に裏付けされた看護だ。

おれは自分でできると思い込むことほど馬鹿げたことはないと思った。

 

違う視点、経験値、それを患者さんに返していくには、おれはおれの知識・技術を身につけながら、先輩の力を利用していくこと。

それが大切だった。