理解されたい悪魔

本当は何を求めているのか?

食欲、物欲、性欲

一瞬の物質的な快楽、

身体の安楽に逃げてもキリは無く。

本当に欲しいものは違う。

 

落ち着いて本を読んだり、

よくよく考えたり、

何もないことを楽しんだり。

そんなことが出来なくなる時、

人では無くなっている。

 

可愛い子どもたち。大切な家族。

看護対象者。尊いもの。

自らを光にできる日々。

心を込める瞬間、役割が用意されている。

 

その反面で自分の癒しを欲している。

感謝が足りないのだろう。

価値や真理を奥深く

分かっていないんだろう。

 

私に巣食う悪魔は、たましいの曇りは、

「理解されたい」というトラウマ。

話を聴いてほしい。分かってほしい。

認めてほしい。慕われたい。

私はそんな恥ずかしい「寂しい人」。

 

孤高に生きる道は?

まずは悪魔から目を離さない。

自分で自分の慰め方を見つける。

アーミッシュ

 

アーミッシュとは、

アメリカやカナダの一部で自給自足の生活を送るドイツ系移民のキリスト教の一派のこと。

宗教的理念に基づき、米国へ移民してきた当時のままの生活様式を送っている。

 

アーミッシュは移民当時の生活様式を守るため電気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話など)も家庭内にはない。

原則として現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいる。

アーミッシュでは独自の農業を行いほぼ完全な自給自足の生活を送っている。

農業は農薬や化学肥料を全く使わずアーミッシュの農作物は市場では高値で売られ一部の高級ホテルや高級レストランで重宝されている。

 

自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方は拒否するのである。

一部では観光客向け商品の販売などが行われている(アーミッシュの周辺に住む一般人が、アーミッシュのキルトや蜂蜜などを販売したり、アーミッシュのバギーを用いて観光客を有料で乗せたりする例もある)。

アーミッシュの日常生活では近代以前の伝統的な技術しか使わない。そのため、自動車は運転しない。商用電源は使用せず、わずかに、風車、水車によって蓄電池に充電した電気を利用する程度である。移動手段は馬車によっているものの、ウィンカーをつけることが法規上義務付けられているため、充電した蓄電池を利用しているとされる。

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実際に私の生活に、沢山のモノを必要としていない。少なくとも衣服もほぼ同じ。

食べ物を自給自足は出来ていないが、添加物のないまたは少ないものを選んでいる。

ファスティングなども行い、食べる物の量も今や多くない。

 

モノに自由を奪われている時代。

便利と思っているモノが、返って選択肢を増やして混乱させる。

便利のように見えて、心を奪われてしまう。

 

はじめから無ければ、無いで工夫する。

それを不自由とは思わない。

知識や情報を得ることで傲慢になり、

 

生きることに必要なことだけを選択的に学ぶ。

脂肪もモノも、

人間関係のコミュニケーションも削ぎ落としたい。

 

 

 

だからつくろう

粘土をこねて

だからつくろう

お話しを

だからつくろう

音楽を

だって見えないもの

ぼくらこわいから

 

溢れているのかな

分け合いたいのかな

絵の具をといて

見てみよう

ほら やさしく にじんでる

 

だからつくろう

ペンを握って

だからつくろう

平気なふりをして

吹き消されないように

体のど真ん中に

火を灯して

ありきたりな朝に

出鼻をくじかれる前に

今夜つくろう

君が僕のそばにいた頃が

あんなに遠く見えて

代わり映えのない毎日のようで

何もかもが違う

 

新しいことより

当たり前に思ってた

ささやかなことが

 

きらきらきら

輝き出して いとしくて

大切に大切に 明日も明後日も

抱きしめている

 

目まぐるしく夢中で乗り越えた

あの頃の価値は

独りきりの今ごろになって

私を助けている

 

隣にいる時より

心にいる今の方が

分かり合えるような

 

はらはらはら

降り積もって こぼれ落ちて

大切に大切に瞬間を瞬間を

やきつけている

 

いつかの夕焼け空

みんなで見ていた空

今でも目をつむれば

 

きらきらきら

輝き出して いとしくて

大切に大切に 明日も明後日も

抱きしめている

目の前の誰かはいつかの自分

 

急遽、癌末期の方の訪問を担うことになる。

そんなこもはよくあることだが。

10年にも渡る治療を経て、

BSCとなり自宅に戻ったが、

命を諦めたくないともがくことは、

しごく当然のことの様に思う。

機能が失われていく日々に抗って、

まだ頑張れるまだやれると。

看護師はまるで審判。

拒む気持ちが分かる。

 

私がいずれ病気になり、

治療を頑張り続けて、死ぬ時

若い看護師からどんなふうに

話をされたいだろうか

 

触れてほしくないこと

ほっておいてほしいこと

たとえ合理的ではなくても

そこに生きる希望を感じれるなら

それを支えたい

 

ただ家族のエゴ、周りの想いだけでは

 

生きている意味

死ぬことより

死ぬまでに充分生きれるかのほうを

恐れてしまう

 

沢山のことをしたかではなく

世界の意味や成り立ちに気付けるか

小さく思える日常の一事情に

含まれた無限の感動が分かるか

 

分かるためには渾身の思いで

それらを見つめる心が必要

またはそれらのサインが

心の中に差し込めるだけの

無欲でおおらかな無防備が必要